MAKERS UNIVERSITY

STUDENT INTERVIEW
塾生インタビュー

既存のセーフティネットから溢れてしまう人が、明日がご機嫌に過ごせる世界を造る

小林 ひかりさん

山形県立保健医療大学 保健医療学部 看護学科3年

MAKERS UNIVERSITY 5期生

Q.
MAKERS UNIVERSITYに応募する前はどんな想いで、どのようなことに取り組んでいましたか?

MAKERSに入る前は「人の心に寄り添う医療者になりたい」という一心で、看護の勉強をしながら、医療系の学生団体でプロジェクトコーディネーターをしていました。「良い医療者になるためには、様々な価値観を学ぶこと必要である」という信念のもと、死生観のワークショップや医療と芸術の融合を学ぶ合宿などを主催していました。その後、自身のアートに救われた経験に立ち返り、”医療とアートを融合したら社会は良くなる”という確信の元、その可能性を模索するために大学を休学しました。休学中は、病院にアートを届ける事業を目指し、ホスピタルアートの団体”あとめでぃ”を運営しながら、社会課題に立ち向かうベンチャー企業でインターンをしていました。

Q.
現在はどんな事業やプロジェクトに取り組んでますか?その事業やプロジェクトに挑む背景や想いも含めて教えて下さい。

HSP(highly sensitive person)と呼ばれる感覚処理感受性の高い気質の認知と解決策を提示するために、ブランドとコミュニティを運営しています。
HSPとは、世界中で5人に1人が持つと言われ、90年代に定義づけられた「人の気質」を表す言葉です。この気質は① 考え方が複雑で、深く考えてから行動する②刺激に敏感で疲れやすい ③人の気持ちに振り回されやすい、または共感しやすい ④ 五感などのあらゆる感覚が鋭いなどの特徴があります。この気質をもつ方は、人間関係や職場で生きにくく感じることが多いです。

私自身もHSP当事者で葛藤はありましたが、今では共感性やいろんなこと情報をキャッチできることがギフトだと思えるようになりました。今、HSPの気質に苦しんでいる方が、その気質をギフトに思えるようなサービスを作っていきます。

Q.
MAKERS UNIVERSITYにはどんな想いや期待感で応募しましたか?

私がMAKERS UNIVERSITYに期待していたのは、同世代の起業家コミュニティを得ることと、ビジネスの知識を学べることでした。応募した当時の私は、病院にアートを届ける活動で事業化を目指していました。しかし、1年間活動する中で想像以上に病院の壁が高いことや、マネタイズ方法、自分自身のメンタルの調整にひどく苦戦していました。そんな時は原体験を思い出し、自分を奮起させていました。しかし、どうしても私には事業化するという知見や精神力が乏しかったのです。そんなタイミングでMAKERS UNIVERSITYに出会いました。休学中にご縁があった方が、共通のコミュニティとしてMAKERS UNIVERSITYの名前をあげていたことから、直感的に強烈な引力を感じていました。休学最後の挑戦として、復学後も新たなステージで挑戦する覚悟として、応募しました。

Q.
実際にMAKERSに参加してみて、自身にとってどんな変容や進化がありましたか?

「自分の心の声に耳を研ぎ澄ますこと」を大切にするようになりました。私の長所でもあり、短所でもあることに「他人軸」という点があります。以前から、相手の立場になって考えることを重視するがあまり、自分の心の声を聞けなくなってしまうことが多々ありました。そうなると、誰かが求めていることが自分の使命になって、自分がワクワクすることが二の次になってしまう。実は頑固な自分にとって、このような状態は首を絞めるようなことだと痛感しました。

それからは、何か決める時に「他人軸になりすぎていないのか」「自分の脳みそが喜んでいるのか」を問い直すようにしています。また、自分の心の声が聞こえなくなった時は、MAKERSの友人やメンターに言葉を引き出してもらうような「頼る」ということもできるようになりました。”解決したいこと”と”自分がワクワクすること”をバランスよく保つために「自分の心の声に耳を研ぎ澄ますこと」ができるようになったのは大きな変化です。

Q.
萩原ゼミやクロコムが自分自身や事業に与えた影響、メンターである萩原さんとのやりとりで印象に残っていること、また、月1ゼミでの学びや気づきを教えて下さい。

私にとって、荻原ゼミは「弱さをさらけ出せる、立ち止まれる場所」でした。
実は、私はゼミが始まってから2,3回事業案が変わっており、自分に対して嫌悪感を感じていました。進んでは戻りを繰り返していたため、焦っていたのです。しかし、荻原さんは1を聞いて10を知ってくださっているかのように、小さなことでも必ず褒め、私の頭の中を整えてくれました。強く前に進むことも、失敗することも、どちらも受け止めてくださる懐の深さに精神的に支えられました。

また、クロコム(※1)は「トライアンドエラーで進み続ける、アクセルを踏む場所」でした。
印象に残っているのは「君は本当に起業なの?」と何度も問われたことです。正直、その度にスタートラインに立ち戻される気がして、とても苦しい時もありました。しかし、当時を振り返ると、私は「10年先の未来を作る事業の軸」や「人を雇う覚悟」など何もかもが最低ラインにも届いていなかったと思います。あの場で揺さぶってくださったから、自分の考えが甘い部分と譲れない部分を区別することができました。

※1)起業特別ゼミは、通称クロコムは、ファイナンス領域のメンターを務めるデジサーチアンドアドバタイジング黒越社長が主宰する特別ゼミ。黒越社長は、創業期のファイナンスを主に扱う「ファイナンスゼミ」と、この「起業特別ゼミ(クロコム)」の2ゼミを受け持っています。 この「クロコム」のみ、他の起業家ゼミとの兼ゼミが可能なため、1期生・2期生・3期生・4期生・5期生も、軸足となるゼミに所属しながら、クロコムに参加をしていました。登記済もしくは、MAKERS実践期間中に登記する予定のメンバーのみが参加できる名物ゼミです。

Q.
MAKERSUNIVERSITYに入学してから、一番印象に残っている出来事は何ですか?

「事業案をゼロベースに戻す」という決断をした時です。私は元々「病院にアートを施す事業を作る」という目的で、MAKERS UNIVERSITYに入塾しました。しかし、新型コロナウイルスにより、進めていた病院のプロジェクトが白紙になったり、自分と向き合う時間が増えたりした事で、「自分は本当にこれがしたいのだろうか」という思いがこみ上げてきました。メンターに多くの問いをもらった際、はっきりと自分の違和感を自覚しました。

そんな中「事業案をゼロベースに戻す」という一大決心ができたのは、相談にのってくれる仲間と、黙って見守ってくださるメンターの存在があったからでした。それからは、ひたすら自分と向き合い、「病院にアートを取り入れたい」という想いの奥底には「既存のセーフティネット(医療技術)から溢れてしまう方が、(入院中も、その後も)ご機嫌に過ごせるようにしたい」という思いが隠れていることに気づきました。自分のビジョンが明確になった時、まずは病院の外からこのビジョンを実現していく決断をし、”HSP”に注目した事業を組み立て直しました。

Q.
MAKERSに入ったからこそ得られたことや、MAKERSがあってよかったなと感じていることを教えてください。

「仲間でもなく、友人でもなく、同志という特別な存在に出会えたこと」です。MAKERS UNIVERSITYには、様々なビジョン・価値観・背景・特技を持つ同志がいます。そして、段階は違えどみんな強い意志を持っていて、そのどれもが彼ら自身の人生と深く結びついている気がします。もちろん、普段生活している環境の人々も多様性に溢れていると思うのですが、MAKERS UNIVERSITYは”お互いの人生”に触れ合い、尊び、不安を共有し、応援し合うという流れがごく自然に行われている点で、特殊な場所だと思います。「この人達とは、この先も一緒にワクワクしていたい」という気持ちに駆られ、未来がとっても楽しみになるのです。

このような同志に出会えることは、本当に稀有なことだと思っていて、今までの出会いの中でも、ここまで深く繋がれた同志は数えるほどしかいませんでした。改めて、このコミュニティで得たものの尊さを実感しています。

Q.
学生向けの起業支援プログラムやビジネススクールが沢山ある中で、MAKERS UNIVERSITYがそれらと違うのはどこだと感じますか?

「定型ではない、自分だけの答え」を模索できることだと思います。MAKERS UNIVERSITYはただ”起業”を目指すコミュニティではないことは確実です。もっと奥底にある「自分の心が望むことは何なのか」「その手段は本当に起業なのか」を、これでもかというくらいに考えます。この問いに向かうことは、とても怖いです。なぜなら、ずっと願いをもってやってきたことが「自分の心が望んでいないのかも」と気づいたり、「本当は何がしたいのか」を原体験から立ち戻ったりする瞬間が幾度となくあるからです。私も何度も原点に戻っては、一から記憶を振り返り、問い直しました。

そんな時を支えてくれたのは、同期であり、ゼミのメンバーであり、メンターであり、事務局のみなさんでした。もし、MAKERS UNIVERSITYが”起業”のみを目的とするコミュニティだとするならば、私は立ち止まる機会もなく猛進できたのかもしれない。しかし、同時にこんなにも自分の人生というものに向き合う機会もなかったと思っています。人生に向き合えた時間は、何ものにも変えがたい財産です。

Q.
あなたとってMAKERS UNIVERSITYを一言で表すと何ですか?

この質問が一番悩みました(笑)私くさい言葉でいうとMAKERS UNIVERSITYに抱く感覚は「冬の朝、全力疾走をしながら、日差しが眩しくて、寒さで鼻の奥がツンとする感覚」に似ています。これは、私にとって最高に「生きている!」と思える感覚です。

私は、MAKERS UNIVERSITYに出会う前、孤独で、終わらないトンネルをひたすら進むような日々でした。もちろん今も、思うように行かない事も沢山あるけれど、今は「息切れする時、眩しくて光から目をそらしたくなる時、呼吸が苦しくなる時」が愛しく、心地よく、生きていることを実感します。走る方向は違えど、息を切らしながら、目を輝かせて先を見つめる同志に囲まれ、私自身も走ることで「生きる」を実感しています。その意味で、MAKERS UNIVERSITYは私にとっての酸素であり、太陽であり、希望なのかもしれないです。

Q.
あなたの人生や事業を通じて「こんな世の中・こんな未来を実現したい!」というビジョンを教えてください。

「既存のセーフティネットから溢れてしまう方へ、明日がご機嫌に過ごせる世界を造る」
人生を生きるということは、本当に大変なことだと思います。普段は平気な顔をしている人が、裏では泣いていたり。強そうに見える人が、実はとっても脆かったり。
私は、誰にでも暗闇に落ちてしまう瞬間があると思っていて、そこで人の温かみに触れたり、国の制度で支援を受けたりすることで、何とか「明日を生きよう」と思えるのだと思います。

しかし、世の中にはこのセーフティネットにも引っかからずに、気づかれないまま暗闇に潜り込んでしまう人もいる。
私は、このような”声なき声”を聞く存在でありたいし、その方が明日も生きてみようと思えるサービスを作ります。
まずは、たった一人が「明日を生きよう」と思える一歩目を支え、後世にて絶望や諦めの感情が無くなる未来を創造していきます。

(*このインタビュー記事は、2020年9月時点のものです)

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メディア掲載歴

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PROFILE

小林 ひかり 山形県立保健医療大学 保健医療学部 看護学科3年
1998年生まれ山形県出身。山形県立保健医療大学保健医療学部看護学科3年。特殊な環境で過ごした幼少期に、”心を癒す医師”と”アートの存在”に救われたことから、心に寄り添う看護師を目指す。大学進学後、看護実習での出来事から医療に限界を感じ、患者の心を癒すアートを模索するために休学。日本中のホスピタルアートを視察・アシスタントをし、インドでは言葉を超えたアートの力を目撃する。また、社会課題を解決するベンチャー企業でのインターンを経て、自身が幼少期に過ごしてきた家庭環境が”社会問題の縮図”だと感じるようになり、社会起業家になることを決意。現在は、既存のセーフティネットから溢れてしまう方へ、明日がご機嫌に過ごせるサービスを設計中。HSPという感覚処理感受性の高い人に向けたコミュニティの提供と、ブランド商品の開発をしている。

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